ノート考

 息子がしている個人指導のバイトも順調のようで、「前回お世話になった先生(!)に…」とご指名をいただけるようになり、ちょっと安心。
 その息子が先日帰宅して、えらい怒っている。
 「ほんま、最近の子(あなたも充分『最近の子』だと思いますケド)は、ノートを取らん!」…。
 この件は、先日の講師会(勉強会のようなもの)でも取り上げられていた問題らしい。
 「こっちが一生懸命、白板に書いて力説してんのに、大事なことっていうのがわかってないのか、覚えられると思っているのか…」
 私も仕事がらみで、近年、痛切に感じていたことなので、お互いに深く共感しあった。
 言われなくても「ノートをとることができる」というのは、私(たち)にしてみれば当たり前のことのような気がするけど、近頃の子にとっては「ものすごく大きな能力である」というのを痛感する。
 ノートがとれる
・机の上に筆記用具をおいて、少なくとも勉強する準備ができている
・指を動かす→全身で吸収しようとする姿勢ができている
・「ここが大事」「ここがわかっていない」と自分自身の判断ができている

息子の言う「勉強ができる≠きれいなノート」だけど、「勉強ができない=汚いノート」は、言い得ていると思う。