それぞれの人生

 先日の日曜日。大学時代のクラブ仲間が集合した。私たちの年代プラスマイナス1学年のメンバー11人。
 今回初めて参加した仲間も4人あり、20数年の時間を埋めあった。
 開催するにあたって、各自が持っている古い年賀状などを見直してもらって実家に連絡を取ったり、Webで名前を検索したりして、いろいろ手をつくして参加を促した。
 上昇志向が人一倍強く、反骨精神旺盛で、英語の勉強をとても熱心にしていた男子がいた。そんな彼だから、いったいどんな人生を送っているのか、みんなとても知りたがっていたけど連絡先が全く分からなかった。
 先日参加したメンバーの1人から、昨日メールが届いた。「googleに彼の名前をローマ字で入れてみて」
 出る、出る…。アメリカの新聞のPDFファイルにヒットした。顔写真まで載っている。大手エアコンメーカーのアメリカ現地の副社長。業務の功績をたたえる新聞記事だった。
 英語の得意なメンバーが会社経由でメールを送り、本人とも連絡が取れた。シンガポール社の社長として赴任するための準備中とか。そんな彼だから、大阪に出張など日常茶飯事だろうし、その時にまた集合しようという約束を取り付けてくれた。

 私が検索エンジン日本語で名前を入れた時は、それらしい情報には一切ヒットしなかった。英語で入力してみるということにまで頭が回らないくらい狭い世界で生きている自分が、つくづく悲しく思えた。こんなにワールドワイドな世界で生きている人がいる。

 離婚あり、失業あり…子供が2歳の人もいれば24歳の人もいる。
 年齢も私たちくらいになると、仕事の面でもそれなりの位置にいて、それぞれの先が見えくる。この先、そんなに大々的・劇的な人生が待っているとは思えない。こういう風になれたらいいな、と思うには現実を知りすぎている。
 そうだからこそ、同じ一時期を過ごしたメンバーとの再会は楽しかった。
 旧姓で呼び合える幸せ。