大学の入学式に思う

 先日流れたケータイのフラッシュニュース。ことばはそのとおりではありませんが、「大学の入学式、あふれる保護者席。大学就職相談会も『過保護者』で盛況」みたいな内容でした。
 うちなんかよそ様から見たら「過保護者」の最たるもんなんでしょうね。なにせ母親だけのみならず、おじいちゃん、おばあちゃんまで出席したのですから。そして、仕事がなければ出席を切望していた父親まで…。
 でも、「大学生だよ!大学生にもなってなんで親が出席するの?」っていう意味がわかりません。親が大学の入学式に出席して、「こっちが会場だよ。はい、上履き。式次第は、ここに入れたよ。トイレはあっちだからね…」とでも世話を焼いていると思われているのでしょうか。だから「大学生にもなって…」という発想につながるのでしょうか。
 我が家は、正門で記念写真は一緒に撮ったものの、そのあとは全く別々。本人は友だちと行動していました。式終了後も顔を合わせることもなく、別々に帰ったし…。
 「式に出席する」というのはやはり「一緒に喜びを分かち合いたい」につきる気がします。確かに親としては、総長の話にも興味があるし、キャンパスがどんなんか見たい、という興味はあります。でも、本人が一番入りたかった大学ですから、そういう親の評価はどうでもいい。いちばん輝いている今を見届けて一緒に喜んでやりたい、というのは子供がいくつになっても親がいだく普通の感情だと思うのですが…。

 就職相談会まで顔を出すのはこれは「過保護」と言われてもしょうがない。もう二十歳をすぎているんだし、自分の判断に責任を持つべきです。でもこの少子化のご時世、大学側も「保護者交流会」を開いたり、成績評価に文句をつけてくる親の対応に追われたり大変なようです。でも、これは入学式の出席の件とは、意味が違うと思います。